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2005 Le Jardin de Qahwah
珈琲の発祥。
珈琲の発見伝説には代表的な2つの伝説があります。1つは、「エチオピア高原発見説」もう1つは「オマール発見説」。

「エチオピア高原発見説」・・エチオピア高原の羊飼いカルディは、野生のコーヒーの木の実を食べて興奮し、日夜動き回っている山羊の群を発見した。彼は不思議に思い、修道院の僧にその事を告げ、一緒に赤い実を食べたところ、全身に活力がみなぎってくることを知った。そこで他の僧侶にもこれをすすめ、長い間彼らを悩ましたミサの勤行と睡魔の苦行から救うことが出来た。(キリスト教説ともいわれる。)

「オマール発見説」・・アラビアの回教徒シェーク・オマールは道徳上の過ちにより、イエメンのモカからオーサバ山中(ウーサブ地方 モカより北方約100Km)に追放の身となりました。飢餓に苦しみつつ山中をさまよううちに、その不幸を嘆き師アル・シャージリの名を叫びました。すると一羽の鳥が枝にとまり、妙なる調べでさえずりました。手を伸ばすとそこにはコーヒーの花と実がなっていました。彼はその果実を採り、持ち帰って煮出し、飲んでみたところ、心身に精気がよみがえる効力を知りました。医者でもあったオマールは、この実を使い多くの病人を救ったので、ほどなく罪を解かれ、再び聖人としてモカに迎えられました。(イスラム教説)

一般には、この2つの説が有名な珈琲発見説として伝えられていますが、このどちらの話にも注目すべき点があります。

まず、「エチオピア高原発見説」。この話は1671年刊、ファウスト・ナイロニー著「眠りを知らない修道院」が元になっています。しかし、イスラーム圏には、コーヒー発見、誕生に山羊が重要な役割を果たす説話は存在しないといわれています。

そうしてもう一つの「オマール発見説」。アル・シャージリはたしかにイエメンに実在した13世紀のスーフィー(イスラム神秘主義)の指導者ですが、この「オマール発見説」は以外にもイエメンでは民間伝承を残していません。

つまり、「オマール発見説」はこの不思議な飲み物(コーヒー)の宣伝にコーヒー商人が作った作り話である可能性が、そして「エチオピア高原発見説」にはなにか付け足されたような(コーヒーの発見がイスラム教によるものだとするとキリスト教にとってそれは異教徒の飲み物)においがしませんか?

ここで一つ、注目すべき書籍があります。1454年にアデン(アラビア半島の南端、イエメン共和国の港湾都市。イエメンのコーヒーの積出港)のイスラム教学者ザブハニーによる「コーヒー由来書」です。

コーヒー飲用を一般に公開したこの逸話には前置きがありこれによるとこの人物がアビシニア(エチオピアの旧称)を旅したときに珈琲の効力を知り、イエメンに帰ると病気になり、珈琲を試したところはたして健康を回復したどころか睡魔を払うことが出来、夜の勤行にも集中できるため飲用を勧めたのでした。

覚醒するこの飲み物「カフワ」はイエメン中に広がり、初めは果肉のまま煮出していたコーヒーが果肉部(ギシル)と種子(ブン)に分かれ、イエメン人は鮮度を要するギシルを、ベドウィン(砂漠の民)はブンをつかうようになりました。今でもイエメンでは飲み物の珈琲をギシルと呼び、われわれが知っている珈琲の事はブンと呼ばなければいけません。

では何故、全世界でのこの不思議な赤い実が「ブン」ではなく「コーヒー」と呼ばれるのでしょうか?

植物学者の推測ではコーヒーはエチオピア西南部のカファ地方に原生していたと考えられています。このあたりは多くの亜種、変種が見られ、部族により違った呼称(ブノ、カリ、ギア、ティカ・・等)があります。これらはすべてコーヒーの事を指していました。つまり、総称としての「カッファ地方の」・・・「コーヒー」となったのではないでしょうか?

タンニン

タンニン:Tannin タンニンとは植物に含まれる水溶性成分のうち、蛋白質・アルカロイド(植物に含まれる塩基性含窒素化合物。ニコチン・モルヒネ・カフェインなど)金属イオンと強く結合し、難溶性の塩を作る性質を持つ化合物の総称。

タンニンは工業的利用が多く行われており、例えば「皮」の蛋白質を変質させて「革」にしたり、水溶性の色素を布に染み込ました後、不溶性の沈殿にすることで染色など。もともとタンニンの語源は革を鞣すこと(Tan)から来ているそうです。

タンニンの味覚は「極めて渋い」もので、人間が渋みを感じるのは口腔内のタンパク質にタンニンなどの物質が結合して、そのタンパク質の性質が変わることで感じる「体性感覚刺激」(痛覚など)によるものとされています。

タンニンは水溶性であるために水に溶けたタンニンを含むと唾液に溶け、渋みを感じます。ここでタンニンの基本性質である「色々なものと結合し難溶性になる」を利用すれば、タンニンは不溶性となります。
つまり、タンニンの渋みを軽減できるわけです。

参考文献:日本コーヒー文化学会「コーヒー文化研究」No.6
「タンニンとクロロゲン酸類」旦部 幸博(著)

クロロゲン酸
クロロゲン酸類:Chlorogenic acids コーヒーの中でカフェインより多く含まれる成分。
コーヒー酸(コーヒーに由来してつけられた名前。一般に高等植物に遊離酸、キナ酸、グルコースとの結合物として広く存在。)とキナ酸が結合したもの。

またの名を「カフェオイルキナ酸」ともいいます。この名前はコーヒー酸(カフェ酸とキナ酸)から出来ていることに由来します。

多くの双子葉植物の果実、葉に含まれています。融点208度、水、アルコール、アセトンに可溶。アルカリ性。
もともと「クロロ」というのは「緑」という意味で、クロロゲン酸という名前もこの反応からついたものです。

コーヒーの成分の話が出てきたときに「タンニン」と「クロロゲン酸」が混同されて話される事がありますが、たしかにクロロゲン酸類の構造と和水分解タンニンと比較すると非常によく似ていることに気が付きます。

タンニン
クロロゲン酸

どちらも「ブドウ糖あるいはキナ酸などに複数の多価フェノールカルボン酸がエステル結合」したもので、このようなことからクロロゲン酸は「コーヒー酸(カフェ酸)からなるタンニン」つまり「クロロゲン酸」=「タンニン」(タンニンの一種)となっていました。

しかし、現在の化学の専門家による一般的な見方はタンニンの定義である「蛋白質・アルカロイド・金属イオンと強く結合し、難溶性の塩を作る」という条件を満たすとは言い難く、タンニンとは呼べないそうです。

また、コーヒーにはタンニンらしいものはほとんど含まれておらず、あくまでコーヒーに含まれているのはクロロゲン酸類であって、タンニンと呼ぶのは定義上おかしいといえます。

タンニンの特徴として「水溶性」があげられます。分子構造がクロロゲン酸と似ている・・・ということは生豆を洗った場合、クロロゲン酸が水に溶ける可能性も捨て切れません。水で洗い焙煎したコーヒーがスッキリしているのは余分なクロロゲン酸類が溶け出したのが原因かもしれません。

クロロゲン酸類は、タンニン同様にいくつかの物質と結合する性質を持っています。しかし、タンニンと違い結合は簡単に外れるところに違いがあります。

結合する物質の代表的なものに金属イオン、鉄、銅、アルミニウム、カルシウム、マグネシウムなどと結合して水にやや難溶の塩を作るようです。
また、タンニンと同様、アルカロイドとも結合します。アルカロイド、すなわちカフェインもアルカロイドの一種であることからクロロゲン酸とカフェインが結合することを示します。
クロロゲン酸は蛋白質とも結合すると考えられてます。その根拠は渋みにあります。

ここで言えるのは「渋み」もコーヒーの味覚を示す大切な要因といえるということです。「渋み」といっても厳密な味覚の分類であって「苦味」に近い「渋み」と私は思います。(抽出液の状態に限る)クロロゲン酸類は焙煎によりキナ酸とコーヒー酸に別れます。

また、糖類、アミノ酸と反応してコーヒーメラノイジン(黒色素)の一部に変化します。

クロロゲン酸類の量は焙煎により大きく減少します。データによればイタリアンローストで90%変化したという報告もあります。
つまり、焙煎度により結合と分解の割合で「渋み」「苦味」が決定されていくと考えられます。

クロロゲン酸類には面白い性質があり味覚物質の味を変えてしまうという性質があります。(味覚修飾物質という。)
コーヒーを飲んだ後、水を飲むと甘く感じた経験はありませんか?まさしくこの作用です。

クロロゲン酸との結合物質の相性を探れば「チョコレート(糖類)」など、コーヒーと相性の良い食べ物の解明につながると思います。(これからの課題として研究してみたいと思います。)

参考文献:日本コーヒー文化学会「コーヒー文化研究」No.6
「タンニンとクロロゲン酸類」旦部 幸博(著)、同コーヒー文化学会「コーヒーの辞典」

C8H10O2N4・H2O
カフェイン:Caffeine コーヒー豆に限らずお茶やカカオ豆にも含まれるアルカロイド(含窒素化合物)。純粋のカフェインは白色絹糸状の結晶で、熱湯に良く溶けます。珈琲の重要成分の一つ。

カフェインの人体に及ぼす影響は、(医薬として)ゆるやかな刺激興奮剤で脳と筋肉の働きを活発にします。他の興奮性、麻痺性のものと違い体内に蓄積されません。短時間で全部排泄され、悪影響を及ぼしません。一時的な効果として、血液循環、利尿作用、摂取した脂肪を分解する働きがあります。

カフェインの薬効について余談。カフェインはモルヒネやコカインなどと同じ塩素性を呈するアルカロイドの一種で、中枢神経、循環系、横紋筋、肝臓に作用します。

そのカフェインには実は致死量があります。つまり、コーヒーで死ねるということです。カフェインの摂取における致死量は10グラム以上。10グラム以上のカフェインを摂取すると危険です。
では、コーヒー1杯のカフェインの含有量はと言うと、コーヒー1杯約150mlでおよそ0.1グラム程度のカフェインが含まれています。つまり、100杯のコーヒーを一気に飲めば珈琲自殺できます。

珈琲豆に含まれるカフェイン含有量は栽培条件、豆の種類、処理方法で多少の違いはありますが、通常使う豆の重さの1〜2%のカフェインが含まれていると考えてかまいません。

ここでエスプレッソと普通に抽出した珈琲のカフェイン含有量を比較してみましょう。イメージ的にエスプレッソの方が含有量が多いと思われてしまいますが、エスプレッソ一杯のカフェインの量は60〜120mg。他のタイプの珈琲だと150〜300mgとエスプレッソの方が含有量は少ないのです。

エスプレッソの方が通常の珈琲よりもカフェインが少ない・・・。

しかし、よ〜く考えてみてください。仮に含有量を1%として、レギュラーコーヒー130mlにコーヒーの豆を13g使用したとします。この場合一杯当たり1ml中130mg。エスプレッソ40mlにコーヒーの豆を8g使用した場合一杯当たり1ml中80mg。

たしかにエスプレッソのカフェインは少ないように思えますが、一杯当たりの量で考えればどうでしょうか?

ましてや、エスプレッソはかなり常用性があるために(イタリアに行ったときに実感しました。)ついついバールを見るたびに飲んでしまうのです。

しかもこれは「オール・アラビカ」使用の場合であって、イタリアでも南に行くほど珈琲の中にはロブスタ種が含まれます。ロブスタ種にはアラビカ種よりも多くのカフェインが含まれるため、むしろ南の方のエスプレッソブレンドはカフェインが日本で飲むレギュラーコーヒーよりも多く含まれます。

どのみち、カフェインはすぐに体の外に流れます。カフェインを悪者と考える人がいますが、理解に苦しみます。何故、わざわざ珈琲飲むのにカフェインレスを頼むのでしょうか?

また、「なぜ珈琲を飲むと寝られなくなる?」と云う人がいるのでしょうか?

カフェインの刺激、興奮作用がそうさせているのかもしれませんが、(深煎り)=(眠れない)は自己暗示のような気がします。カフェインは焙煎度が深まるにつれて減少の傾向にあります。つまり、「浅煎り」の方がカフェイン含有量は高く、寝る前の摂取は控えた方が寝られると思います。

先ほども述べましたが、珈琲三代原種の一つ「ロブスタ種」はカフェインの含有量が多いためにこれを用いたブレンド等を飲んだ場合寝られなくなる可能性は高くなります。

何故、そこまで・・
なぜここまで珈琲に人は魅了されるのでしょうか?
珈琲は非常にシンプルな飲み物です。植物の実を収穫、種を取りだし、その種を火にかけて、お湯で濾して飲む。この簡単な作業と動作に人は魅了されるのでしょうか?

昭和期のコーヒー愛好家で研究家の井上誠さんは珈琲への道を歩むものが必ず口にする偉大な珈琲人です。著書「珈琲求真」の冒頭は「ここに描かれた 珈琲への愛情を 地の上にあるすべての 珈琲愛好家に捧げる」と始まり、498ページにも及ぶ珈琲研究のすべてを書き記しています。

井上誠さんは著書の中で珈琲の起源を突き詰めるあまり、旧約聖書に記載された「赤羮(あかきあつもの)」がコーヒーの事を示しているのでは?と突き詰めています。「珈琲求真」のp276。赤羮の解釈として(「コーヒーはいいものである。しかし溺れるほど飲み耽っては己を失う。」もしその意味であったとすれば、これは今でも当てはまることにちがいない。)と珈琲に対する愛情を聖書の言葉と共に書き記しています。

珈琲は魔力を含んだ飲み物だと常々思っています。猫のように気まぐれな存在に感じます。故に、たぶん手なずけたいのでしょう。過剰な愛情は時として商売としての珈琲を忘れるときがあります。「自分の猫はやっぱりかわいい、自慢したい、他のとは違う、他は認めない。」極端ですが似ていませんか?

業界の先輩方には「独りよがりの味」を警告する方がいらっしゃいます。自分自身の味が良くも悪くも出てしまうからだと思います。もっとも、珈琲は「嗜好品」であるが故に味を作る人間の「嗜好の問題」が出てきます。

それを単純に「うまい」「まずい」と言い切ってしまう人もいますが、あくまでもそれは「嗜好の問題」であって「自分に合う」「合わない」が正しいと思います。お客さんが「うまい」「まずい」を言うのは良いのですが(もちろん嗜好の問題ですから)、味を提供する側がコレを言うと最悪です。

これこそ正に「独りよがりの味」ではないでしょうか?

珈琲には「良い珈琲」「悪い珈琲」が存在すると思います。「良い珈琲」とは鮮度、品質、技術がある珈琲。
「悪い珈琲」はその逆。「味」は提供する側の人間性だと思います。同じ種類の豆でも焙煎する人間の珈琲に対するアプローチが違えばたとえ「同じ豆」「同じ釜」を使っても味は違います。そこが珈琲のもっとも魅力的なところではないでしょうか?