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2005 Le Jardin de Qahwah


Arabia
Felix

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その後・・
「1」


1月22日

モカコーヒーの旅もいよいよ最後です。旅の緊張もすっかりなくなり、フィルムもなくなりで、写真が2点しかありません。あしからず。

サナアのホテルを午前8:30出発。名残惜しいイエメンの風景を目に焼き付けながら空港へ。10:10分発、アラブ首長国連邦・ドバイ行きの飛行機に。イエメンからドバイまでは約3時間半。13:50分着。

ドバイは凄いです。石油のビッグマネーは錬金術のように何もなかった土地に巨大な街を作り上げました。イエメンの後だと同じアラブとは思えません。
ホテルとしては世界一の高さ(エッフェルより高い)のバージュ・アル・アラブ・ホテル。もちろん高級ホテル。 ホテルの下はビーチです。そこをラクダが歩いている風景はちょっと「いかにも」な感じです。

ドバイは人口の7割〜8割が外国人という国際的な都市です。街を二分するようにクリーク(運河)が流れ、運河をわたるためになんと運河の上と下に道路を作っちゃたから驚きです。
1833年に新首長国を成立してからの主な産業はダウ船の造船、アラビア湾での真珠養殖でした。しかし、1930年。日本で真珠の養殖技術が開発され、大打撃を受け、また世界恐慌とも重なったためドバイの経済は低迷していきました。後、1950年にドバイの新首相が石油発掘作業の基礎を作り、1966年に油田を発見。いまや世界に誇る都市にまで発展しました。

途中、ドバイ博物館に立ち寄りました。ドバイが30年でどれだけ成長したかよくわかる博物館でした。昔の町並みが再現されていたり、(町並みの中には蝋人形とCGホログラフで動く人が。)昔の映像があったり。
再現された町並みや生活の様子は面白くなかった。リアルな生活を体験した後ではリアルを感じられなかった。イエメンのスーク(市場)ではドバイ博物館の暮らしが今も続いている。
アラブ諸国に属するイエメンは歴史ある街です。しかし、他のアラブ諸国からは「アラブの田舎」と軽視されることもあるのが現状です。これはイエメンの後進性、保守性、乳幼児の死亡率、文盲率、国民所得。これらがアラブ世界の最低線に位置するからという根拠がある。
しかし、イエメン人はそう思っていない。自分たちはアラブの源流」だと自負している。たしかに、アラブ諸国の王族や貴族出身者の家系をたどると古い血筋はだいたいイエメンに還る。このことはアラブ世界では広く認められている。
しかしいくら血筋が純アラビア人だとしても現実では「現実問題」が首をもたげる。多くのイエメン人は成人するとサウジアラビアに出稼ぎに行く。
数年でイエメンでは稼げない額を稼いで車を買って帰るのがより良い生活のために必要な事であるのは事実。数年間を外国で暮らし、「アラブの田舎」と軽視される環境の中でより良い生活のお金や結婚資金を稼ぐのです。
おそらく同時に、より良い祖国を創ろうという気持ちも持ち帰っているに違いないと思います。
イエメン国内でも現在、内陸部での石油・ガスの産出が期待されています。これは他国からの個人的エゴですが、豊かになって欲しい反面かわって欲しくない思いがあります。

出発待ちのホテルでテレビをつけたら、イエメンの事をニュースで取り上げていました。ニュースを読み上げるアラブ人は男女ペアでスーツを着ていました。その中でのイエメン人はソウブ(長衣)にジャンビーアの出で立ちです。おそらくジャンビーアのニュース特集だったのでしょう。ジャンビーアダンスを踊るイエメン人をドバイのホテルで見ると本当に同じ中東なのかという思いでした。
アラブの源流である誇りをイエメン人が失わない限り、ジャンビーアを腰に差している限り、純朴で優しい人たちでいて欲しいと思いました。

・・・日付がかわる頃、日本への帰路です。