東京・吉祥寺に、伝説の自家焙煎咖啡店がありました。その名は「もか」。マスターの標 交紀(しめぎ ゆきとし 2007年没)は私の尊敬する咖啡人の一人であります。その標さん、書籍「咖啡の旅」で冒頭にこの様な事を書かれています。
(私は心の中で”ダイヤモンドのコーヒー”と呼んで、夢みているコーヒーがある。ダイヤモンドのコーヒーより、少し等級が下がるとそれはエメラルドのコーヒーだったり、ルビーだったりするし、最下級のどうにもならないのは”石ころのコーヒー”になってしまう。要するに、山下画伯が「兵隊の位でいえば……」と、コーヒーをランクづけているようなものなのだ。が、私の場合、ダイアモンドのあの光、ツヤ、透明感、高貴さ、妖しさは、それこそ「KING・OF・KINGS」のコーヒーにピッタリの形容なのだ。では、具対的に、ダイヤモンドのコーヒーとはどんなものなのかーーーー)
なんとも引き込まれるような序文。そして本文は”ダイヤモンドのコーヒー”を探し、世界中を旅する姿が描かれていくのです。
私は駆け出しの頃、標 交紀氏にお話を伺った事があります。私がお伺いした時、「もか」は豆売りのみの営業形態でした。その店内奥、喫茶室だった所は咖啡資料館になり、入り口近くで咖啡豆を販売というスタイルになっていました。事前にお話を伺いたいと連絡していたので、私は奥の資料館でお話を聞く事ができました。質問等、沢山の話をお伺いした後に、当時、悩める私に標氏はこう言いました。「豆を焙煎しなくては珈琲の事は語れない」「他人の褌で相撲をとるな」その言葉は私の一生の指針となり、自家焙煎への決意は揺るぎないものとなりました。(勘違いされないために補足いたしますが、私は標氏に珈琲についてのお話を伺いにいきました。標氏は「君がしたいことは何だね」「珈琲です」「だったら他人の旗ではなく自分の旗を振りなさい」と言われたわけで、別に豆を買っている喫茶店を否定するものではありません)
(2021 1月)
珈琲の資料は私が始めた頃、今と違って探すのに苦労しました。今でこそ雑誌やテレビでコーヒー特集が組まれますが、当時そんなものありません。そんな中、書籍「咖啡の旅」は私の心を揺さぶってなりませんでした。産地や銘柄を紹介した本はあれど、コーヒーに対する哲学や思想を説いた本などあるのかどうかも分かりません。インターネットも普及始め、iモードが開発された当時。まだ私では調べる手立てなどありませんでしたから随分苦労しました。「コーヒー」とタイトルの付くものをちょっとづつ見つけては買い漁りの繰り返し。そんな中、ダイヤモンドの様に輝いた本が「咖啡の旅」です。
本文の旅は昭和五十一年から五十八年までに五回のヨーロッパ旅行で得たコーヒーの話を国別にまとめた話なのですが、その内容、人との出会い、なんとも「もか」のマスターらしい内容なのです。(当然ながら)割愛しますが、その各地であった珈琲の達人達の名前は、後に「もか」のブレンドの名前へとなっていきます。標氏が亡くなるまで、東京に行く度に吉祥寺に出向き「もか」で咖啡豆を買って帰るのが楽しみでした。全てのブレンドとストレートコーヒーを飲みましたが、どれも私の心の中をいつまでも揺さぶる存在です。本当に残念な事は、私は標氏の点てた咖啡を一杯しか飲めなかったのです。しかもストレートのブラックコーヒーではなくカプチーノです。「なんだ!そっちの方がいいじゃないか!」という声もあるかも知れませんが、私にとっては、標 交紀氏がネルドリップで点てた咖啡を飲んでみたかったのです。
標氏曰く「咖啡には三つの山があります。一つはドリップの山、もう一つはトルココーヒーの山、最後にエスプレッソの山……」当時、スターバックスが全国展開を始め、その勢いに業界までも(今後はエスプレッソを導入しなければいけないのか……)と動揺が走りました。そんな中、コーヒー御三家の一人、銀座「カフェ・ド・ランブル」のマスター、関口一郎氏は拡大、進撃、浸蝕していくスターバックスに入り「なんだ、カフェオレ屋じゃないか……」と語ったそうですが、その一言は業界を冷静にさせるのに一役かったかと思います。私も動揺した一人でしたが、標氏の回答は「咖啡のエキスを抽出するのになにもあんな高価な機械なんて必要ありません」と仰いました。
(2021 2月)
話の途中、徐ろにミルクパンに牛乳を入れると火にかけ始めました。程よい温度になると泡立て器でミルクを泡だてはじめ、温めたカップに予め抽出していたエキストラクトを注ぐと、そこにミルクを注ぎ、私に差し出しました。
その咖啡の味は忘れられません。ふわりとミルクが乗った、まさにカプチーノ。口に含むとミルクの甘味だけでなく、しっかりと主張する咖啡。エスプレッソのように突き放すような苦味やザラつく舌触り(当時のエスプレッソは今と違い苦み走った液体が主流でした)などなく、程よい苦味と甘味、ミルクと調和した優しい飲み物でした。一杯のコーヒーでこんなにも感動し、心揺さぶれる事など今後あるのでしょうか?この時の思い出は一生の宝であり、私が珈琲屋を営む柱の部分でもあります。世界中を見て周り、それなりの結論の上に存在する咖啡は格好良い生き様を体現した、まさに”ダイヤモンドのコーヒー”でした。
その体験から数ヶ月後、福岡「珈琲美美」にお伺いし、森光さんに「吉祥寺でお話を伺ってきました」と報告すると、ニッコリと笑いながら私を見つめ、何度も頷いていたのを昨日の様に思い出します。森光さんは「もか」で五年修行した後、故郷の九州に帰り、福岡で開業されました。森光さんの師匠が標さん。業界では(標のスピリッツは森光が継承した)と言われています。私が吉祥寺での話を森光さんにしたのは後にも先にもこの一言だけです。その時の森光さんの表情で、それ以上報告の意味はなさない事を悟りました。スピリッツは技術の様に教えて継承出来るものでは無い。それで十分でした。
ダイヤモンドのコーヒーとは何か?標氏は書籍の中で(口に含めば、香ばしい香りが身体中にしみわたり、砂糖を入れずともトロリとした甘味が感じられる。もちろん、苦味、酸味もバランスよく舌を刺激して、からみつくようなしつこい味は一切ない。スッキリした味なのだ。飲んだ後には、爽快感と高揚感が残り、さらにもう一杯飲みたくなる……。これが、私の思い描く”ダイヤモンドのコーヒー”なのだ)と。これは今でも味の理想。目標として存在します。
(2021 3月)
その後、私のもう一つの出会い、岐阜「待夢珈琲店」マスター、今井利夫氏の元にお邪魔した時「目指している味は何ですか?」と聞かれました。私は「口に入れた時に味のインパクトがあり、スッキリとした味わいの後、香りだけを残しスッと消えてなくなる珈琲が作りたいです」と答えました。今井さんは笑いながら「それを皆さん目指してます」と答えました。この回答で少し胸の支えが取れた気がしました。そう、それなりに努力している珈琲人は皆、目指す処が同じなのです。一歩づつ、山を登る感覚。目指す山、険しさはそれぞれ違いますが、皆山を登っているのです。時には大雨に出会って川が氾濫したり、ルートが崖崩れで閉ざされていたりするでしょう。が、皆一歩づつ踏み締めているのです。私一人じゃない。じっくりと向き合っていこう。そしてダイアモンドのコーヒーをいつの日か掴もう。そう考えるようになりました。
書籍「咖啡の旅」、旅の最後はスイスの焙煎業者「フェラリー」で幕を閉じます。そこで標氏はダイヤモンドの位じゃないかと「フェラリー」の豆を絶賛します。しかし帰国後、フェラリーの珈琲豆をテーブルに並べ、「フェラリーのコーヒー豆は完璧だ、だけど……」と悩みます。「フェラリーのコーヒーは素晴らしい。スイスの時計のように正確な技術で処理されている。欠点がまるで見つからない、が、時計はともかく、味の世界で、完全無欠なのはいいことなのだろうか?とくに毎日味わうコーヒーの世界で……」そしてフェラリーの欠点を(欠点が無いのが欠点)と結論付けます。文中にも「どうも屁理屈っぽい」と書かれていますが、「完全過ぎる味は、完全ではない」という表現しかとるしかないと書いています。
(2021 4月)
嶋中 労 (著)「コーヒーの鬼がゆく―吉祥寺(もか)遺聞」文中にて、東京・三田、コーヒー専門店「ダフニ」の櫻井さんは標 交紀のコーヒーを「雑味だらけのコーヒー」と誤解を恐れずに語っています。
(フキノトウとか菜花といった春の野菜には、それぞれに独特の苦味というかえぐみがあでしょう。それを料理人は上品な味に仕立てていく。もしも春野菜から上品な苦味が無くなったら、魅力は半減する。標さんのコーヒーにはこの春野菜の苦味のような、日本人にしか分からない旨味みたいなものがいっぱいつまっていて、それを飛ばさないように巧く炒り込んであるの。品のいいえぐみがが凝縮されて、ひとつのまとまった味として統合されていると言うべきかな)
櫻井さんは標さんが感銘を受けた焙煎師、そして師と仰ぐ人物である珈琲研究家・襟立博保さんの秘書的役割をなさっていた方です。襟立さんのコーヒーを側で見ていた唯一人の人物です。全国には襟立さんから珈琲を教わったと言う方もいらっしゃるようですが、それは多分スクールを受講した人で弟子ではない(櫻井さん談:直接本人から聞きました)そうです。その櫻井さんも「私は襟立のコーヒーと標のコーヒーを味わっている。全国探してもこの二つを超える味は無い」と仰っていました。
櫻井さんは襟立さんから「まずは人格を磨きなさい。人格がそのまま味となるのですから、品のある人間からしか品のあるコーヒーはできません」と言われたそうです。岐阜「待夢珈琲店」マスター、今井利夫氏のブログの中に(私も35年焙煎をして、この歳になってわかるのですが、確かに焙煎は技術ですが、技術があっても美味しく品格のあるコーヒーが出来るわけではありません。物を創りだす私達クリエーターは、まずどんなものを作るかというイメージ、感性が最初なのです。そこで、そのイメージ通りに仕上げるにはどうすれば良いのかという技術が必要になってくるのです。)と。
経験を積みいろいろな技術を磨き、どんな珈琲でも焙煎できるようになったとしても、感性のない方には美味しい珈琲は創れません。すべては感性の世界で、技術は後からついてくるものなのです。
(2021 5月)
時は流れ、令和に年号が変わりました。昭和の偉大な珈琲人、標交紀氏、森光宗男氏、関口一郎氏は珈琲の神様の元へと旅立ちました。それでも珈琲の道は続きます。私も私なりの道を歩みました。標氏の書籍のように(数年前、私のコーヒーは、一つの到達点に達したと思われた。”KING・OF・KINGS”には遠いが、私なりに満足のいく、コーヒーの味が出来上がったのだ)という体験を今まさに味わっています。書籍は続きます(そして、周囲を見渡したとき、私を取り巻いていたのは、アメリカンコーヒーという、薄い色の、うすい味のコーヒーだった)と。当時はアメリカンコーヒー全盛期で、当時の喫茶店での名残が未だお客様の中には「アメリカンちょうだい」とか「うすい奴、アメリカンみたいな……」とオーダーを受ける事があります。まさに今、これと似たような事が起こっています。現代を書籍風に言うならば
(そして、周囲を見渡したとき、私を取り巻いていたのは、サードウェーブコーヒーという、薄い色の、酸っぱい味のコーヒーだった)
今井利夫氏のブログは続きます。(しかし、感性はその人のもつ人格や人間性、品性で、理論でもありませんし理屈でもありませんので、本やネットで知識だけをいくら詰め込んでも育つものではありません。日常的に、美しい音楽を聴き、美しい絵画や芸術を鑑賞し、真の美味しいものを食し、美しい身なりを身に付けるなど、生活全般、常に美しい感性の豊かなものに受け入れる「人格」を磨かなければ育ちません。簡単、便利、安いがテーマの現代のファーストフードでは豊かな感性は育たないと私は思っています。)人生を賭け珈琲に打ち込んだその姿勢、それが”ダイヤモンドのコーヒー”に近づく為の長く険しい道のりなのでしょう。
しかし世の中、綺麗事を並べれば良い物が出来るかと言えばそうでも無かったりする。このあたりにもどかしさを感じます。例えば日常がどうしようもなくダラシナイのに一度厨房に立つと、とんでもなく美味しい料理を作る人が世の中に存在します。
(2021 6月)
但しこの類の人は長く続かないパターンを見ます。所在を点々としたり(しかしその場所でなんとなく噂になり成功するんですけどね)、全く別の事業始めたり(しかしその事業もなんとなく成功するんですけどね)。この歳になるとそんな人も目にするので一概には言えないよなと思います。逆に真面目一筋で何十年もその道を極めようと歩み、それなりに有名で成功し、業界で一目置かれる存在になっている方の料理を食べて(あれ?)と思うこともしばしば。
このパターンを目にしたり、遭遇する度にイソップ寓話にも書かれている(うさぎとかめ)を思い出します。コツコツと自分のペースでゴールへと辿り着いたカメが勝利する。最後に女神が微笑むのは努力を怠らなかったものという話。しかしね、世の中にはカメの心を完全に打ち砕く存在がある事が書かれていない時点で美談に終わる教訓めいたお話ですが、いるんですよね、(何事にも真摯に向き合い、サボる事なく真っ直ぐゴールに全力で走るウサギ)が。もうこれには何をやっても勝てません……
話が少しそれましたが、結局の所、何が正しくて何が間違いなのか、今の私にはわかりません。
生豆も実際、焙煎するまで分からないものです。駄豆に見えてもアプローチを変えれば飲める物になります。そりゃあお金を積めば良い豆は手に入りますが、必ずしも高い豆を扱っている珈琲店が旨いとも限りません。逆に高級な豆は水分量が多く、酸味成分も多く含まれていますので焙煎に相当の熟練度が必要です。未熟だと味が抜けた酸っぱいだけの茶色い水になってしまいます。逆に底値の豆を高級豆と同じように焙煎するとスカスカの苦い水が出来上がります。焙煎師はそれらを見極め、適切な熱量で珈琲を焙煎しなければなりません。ですから簡単に(この豆はボロい……)などと言えないのです。それは己の未熟さを示す言葉なのです。(捕捉:これは共通して言えるのですが、安い豆は焙煎してからの消費期限が短く、高い豆は消費期限長い気がします)用はやり方次第なんですね。
(2021 7月)
2020年12月初旬。焙煎機に最後の改造を行いました。これにより安定した品質と味を手に入れる事ができました。理想の味を求め続け、ついに手に入れたのです。しかしこれが ”ダイヤモンドのコーヒー” かと言われると、それは違います。
標 交紀氏からお話を伺って、ずっと心に引っかかる「ドリップの山」。例え話として山だったのは分かりますが、数年前から感じていたのは、私のコーヒーの所在が山にあるのか?という事です。ところが探してみると私の咖啡を山で見つける事が出来ませんでした。周りの偉大なる諸先輩の背中を見て登山を続けていましたが、ある日私は山を登るのを諦めました。あまりにも私と違う。皆、珈琲に対する向き合い方が(狂気)じみている。そんな(狂気)を私が持っていないことに気づいた時、私はそっと下山する決意をしました。山ではない、他にあるだろう私の所在を模索し、そして海に潜ることに決めました。勿論、喩え話で比喩でもあるのですが。
初心に帰り、新ためて「珈琲」という広大な海に足をつけなおしました。そして少しづつ、ゆっくりと、最初は片方の足首から徐々に浸かり、少しづつ水深を深めていくことにしました。進むごとに水圧は上がり、日光は弱まっていきます。魚の数も減っていき、種類も形も異形の存在が顔を覗かせます。もっと深く、もっと深く。下がっていく温度、深まる静寂。自分は咖啡の海をただ下に向かい彷徨う形無い存在だと認識しました。無限に広がる虚無に似た静けさ。何も無いようで全てに包まれている。暗く深く、やがて上下すらも認識出来なくなっていく……
そもそも私のコーヒーの形は ”ダイヤモンド” でありませんでした。私の中で「兵隊の位でいえば……」と順序づけるものでも無いことに気がつきました。同時に焙煎技術というものは、ただのオペレーションだということも。素晴らしい機械だからこそ出来る味なのだ。もっともその機械を使いこなす事が焙煎師としての力量なんだと。今、技術とは何かと問われるとオペレーターでしかないと答えるでしょう。
(2021 8月)
”ダイヤモンドのコーヒー” 標 交紀氏の目指した咖啡は私の様な弱い人間にはあまりにも勿体なく眩し過ぎる。”ダイヤモンド”とは個々の持つ浄らかさの尺度、そして心の強度を表す言葉ではないのか? そんな気がした時、好きな石で形容すればと考えました。誕生石でもあり、好きな石”ガーネット” その魅力的な赤石は何処かコーヒーの色にも似た赤石。”ガーネット”といえば深みあるワインレッドが主流ですが、ローズレッド、グリーン、オレンジ、イエローもある。それ程値の貼る石でもなく、心にその色と存在を問い続けるような宝石。
ガーネットは災いを退ける護符の効果もあるそうです。そしてガーネットは自然な状態でもきれいに結晶する特徴があり、はじめからカットされたように美しい原石。そう、コーヒーは焙煎する前から既に完成しているのです。その状態を飲めるように、素直に存在を昇華してやる手伝いをする。森光さんは「珈琲を正して待つ」と仰っていました。そして「咖啡の下僕」とも。
私の目指すものは最高の状態で飲み物としての存在意義を与える。そんな ”ガーネットの咖啡” を作り続けたいなと思っています。
追記:当店の咖啡、焙煎機の改造が必要ですが、実はもう一段階スッキリとした味に出来ます。でも今の所その予定は無いです。勿論今後考え方が変われば改造も行うでしょうけど今は考えていません。櫻井さんの言う(雑味の味)と言うのが引っかかっていいるからです。これを除けばおそらく口に含んだ人はこの飲み物を咖啡と認識出来ないからです。咖啡はあの後味も含め咖啡なんだと思います。(2024.11.15)