香甘苦渋漱
香甘苦渋漱(こうかんくじゅうそう)。
茶道の世界で上質のお茶は5煎まで楽しめるという。
香味、甘み、苦味、渋み、漱(さわやかさ)。
これらの味覚を楽しんでいく。
私はこの言葉が好きで、珈琲に通ずる感覚を覚えます。
ただし、珈琲の場合は液体を口に含んだときにこの五つの味覚が段階を得て感じゆくもので、最初口に含んだ瞬間から舌の上を通っていき、のどを通り過ぎ、その液体の残り香が鼻孔をかけ上がってくる。それはカップの中の珈琲が常温へと下がっていっている段階でも変化していきます。……たとえ珈琲が冷たくなってしまっても。
この「香甘苦渋漱」を私の作り上げる珈琲にはどの段階でも感じさせたい。至高でありながら中庸。私が目指す最高の珈琲の形です。
しかし、味覚とは不思議なものです。人の見た目が違うと同時におそらく舌のカンジカタも人それぞれ。成分などはロジックである程度数値化されます。でも感じる人間の感性は非常に曖昧で人によって実に様々、アナロジックです。しかし共通認識は存在します。今、分かっている範囲での科学的側面(ロジック)と非科学(アナログ)から珈琲の美味しさを探ってみようと思います。
お客さまから「すっぱくない珈琲ありますか?」と聞かれる事があります。大丈夫です。当店には酸味を感じる珈琲はありますが「すっぱい」珈琲はありません。
この、珈琲における酸とはなんでしょうか?英語に酸味を表す単語にAcidity(アシディティイ)があります。「すっぱい」はSour(サワー)。どうも珈琲にかんしてこの2つは混同されがちです。まずこの珈琲の正体を探る前にpH(ペーハー)のお話を。
pHとは、水溶液の性質をあらわす単位です。普通の水はpH7、これより低い方を酸性、高い方をアルカリ性と呼びます。珈琲のpHは5〜6、水道水はpH6.5付近、レモンはpH2.5付近、井戸水は7〜8付近です。珈琲はやや酸性の飲み物という事が判ります。
「じゃあアルカリ水で珈琲を抽出するとアルカリ飲料になるの?」という声が聞こえてきそうですが、残念ながらpH7以上10以下のアルカリ水で抽出しても珈琲のpHは5〜6です。
「でも、味が変わるのはなんで?」これはおそらくpHによるクラスター(この場合、水の分子サイズと御考えください)の変化で、クラスターが小さくなるという事は細胞への浸透力が強く抽出しやすい味、出にくい成分に分かれるからだと考えられます。ちなみにpHが大きくなる程酸味を打ち消す効果が強くなります。珈琲の酸味は焙煎により作られます。これは珈琲の成分であるクロロゲン酸類が焙煎により分解。珈琲の酸味主成分であるキナ酸が発生するからです。抽出液が冷めて酸味が増していくものとそうでないものがあります。これはキナ酸の成分の状態で酸味の感じ方が変わります。キナ酸には2つの種類があり、酸味を示すものと、酸味に繋がる部位が隠されて酸味を示さないものがあり、後者が時間と供に酸味を示しはじめる為、どんどん酸味が増していくのです。
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水の状態で珈琲の味に影響がでるのはpHよりも硬度ではないでしょうか。水の硬度とは、水の中に含まれるカルシウム・マグネシウムの含有量を示す数値のことで、簡単に言えば軟水とは硬度成分(カルシウム・マグネシウム)の含有量が少ない水、硬水とは硬度成分含有量が多い水をさします。この鉱物質は珈琲の成分に含まれるクロロゲン酸類ととても仲良しです。成分同士が非常に結合しやすく、重たい味に仕上がります。例えば、普通の水を使っても鉄瓶で湯を沸かすと成分が水の中に溶けだし珈琲の味を変えてしまいます。
そこから考えられる珈琲の焙煎と硬度の関係ですが、カルシウムは苦味を押さえる傾向にあり、マグネシウムは苦味、渋みを感じやすくさせます。(カルシウムとマグネシウム含有量の違いにより味のバランスは変化します)この事から深煎りで苦味の傾向にある珈琲はしっかりとした酸味の少ない味わいになります。逆に浅煎りの珈琲は酸味の強い傾向にあるため、酸味も感じるが苦みもあるといった複雑なバランスになります。
珈琲の酸味とは何でしょう。同じ銘柄の珈琲を他店で買うと味が違った。こんな経験はありませんか?そこでこんな疑問が生じます。「酸味を多く感じる店と少なく感じる店があるのは?」これはそれぞれのお店の店主が酸味にどうアプローチしているか?(・・もっともこれは嗜好、味覚に大きく関わりますが)で決まります。その味覚を決定するのはやはり焙煎によるものが大きいです。「珈琲の酸味は焙煎により作られます」が、焙煎が進むにつれ(焼きが深くなる)苦味が増していき、酸味の成分や感じ方に変化があらわれるからです。
珈琲の苦みのもとの一つは褐色色素です。
珈琲の生豆は焙煎によって色が変化していきます。生豆の最初の色は淡い緑色ですが、時間の経過とともに茶色へと変わっていきます。この茶色は少糖類、アミノ酸、クロロゲン酸類が主役となって作られるものでこれを褐色色素(総称)と呼びます。焙煎が進むにつれて少糖類がカラメル化、カラメル色素が作られていきます。この色素に少糖類とアミノ酸の反応によってできたメラノイジン(通称:コーヒーメラノイジン。化学反応の呼び名はメイラード反応)という色素が加わり赤褐色の色素が形成されていきます。さらに焙煎が進みタンパク質や多糖類も加わって百倍以上に巨大化した黒褐色の色素に変化していきます。この色素の変化が珈琲の苦みを決めていきます。
つまり色素が大きくなる(焙煎が深入りになっていく)と苦みが増していき、その逆だと苦みが少ない味。ということです。焙煎が深入りになってくると苦みが増していくと同時に今度は酸の熱分解が始まり、酸味は減少していきます。単純に見た目で味の想像はつきますが、実際は飲んでみるまでは判りません。
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珈琲に甘みを感じたことがありますか?正直なところ私は珈琲を飲み始めた最初、(中学生頃の話ですが)とても甘みなど感じることはありませんでした。もちろん砂糖はキッチリ2杯とミルク適量でマイコーヒーの完成でした。
当時は酸味にもあまり意識してませんでしたし、(珈琲=苦い)が私のコーヒー感でした。最初に甘みを感じたのはモカが入ったブレンドでした。(モカ=珈琲の中でも甘い)が私の印象です。20代前半でした。そこから私の珈琲と共に歩む人生がスタートしたのですが、今思えばあの甘みと旨味は鮮度のよい珈琲から感じられる特徴のような気がします。ではこの甘みの正体は何だったのでしょう?
コーヒー生豆には少糖類(ショ糖)がアラビカ種で多ければ10%程度含まれています。しかし、焙煎によりほとんどなくなります。ショ糖は焙煎によってコーヒーの色、香り、酸味のもととなります。
実は甘みにつながりそうな物質はあるそうなのですが、この珈琲に感じる甘みの研究はされていないそうです。海外の文献にも珈琲の甘みに対する研究は無く、実は日本人特有の感覚かもしれません。日本では珈琲をブラックで飲む習慣があります。「珈琲の味の違いが分かる」「珈琲本来の味が・・・」等、いろいろ意見があるかと思います。私もブラックで飲む方が香りも味も楽しめるし、なにせ飽きがこない。しかし、以外や。世界中の珈琲飲料人工からブラックで飲む割合は全体の2%だそうです。実際、世界中に店舗がある大手アメリカの某コーヒーショップは平たく言えば「珈琲牛乳屋」です。「じゃあ、確かに感じるあの甘みはなんだよ」
……私も知りたいです。個人的意見・偏見ですが、甘みは舌以外の部位でも(上顎や歯茎)感じるのではないのか?と思っています。味は舌だけで感じるものではなく、咥内全体で感じるものです。よく見かける舌における味の分布図がありますが、専門家からみれば少々乱暴な図だそうです。どうぞ、味覚を意識して味わってみてください。新しい領域に出会えるかもしれません。さらに味覚への探求を進めていきましょう。
「コク」日常でよく耳にする言葉です。「コクのあるスープだね」「コクのある奥深い味わい」「サッパリしているようでいて後味に何ともいえないコクが広がる」とか。
なかには「あの人はコクのある人だ」「人生のコクを感じさせる名演奏」など、時として味だけにとどまらず人を表すときにも使ってしまいます。CMなどでもよく目にします。私たちは「コク」と聞いて「美味しそうだな」と想像してしまいます。ではこの「コク」って何でしょう?
説明できますか?実はこの「コク」には科学的アプローチがあまりなされていません。一言では説明できない複雑な分野なのです。なぜならコクは口に入れた瞬間に感じるものではありません。甘味や塩味、辛みなどはすぐに感じることができますが、コクは時間をおいてジワリと感じるものだからです。簡単に説明できない味覚に遭遇したときコクを感じませんか?ただ甘いだけでなく複雑な甘味を感じたときとか。「たくさんの味が混ざっている」この感覚もコクを説明するキーワードです。しばし「ボディ」と表現される感覚も重要です。実は生物にとって本能的に美味しさを感じる条件があります。
つまり生命維持に関わるもので「タンパク質」「脂肪」「糖類」この三大栄養素は簡単に説明すると「うま味」「油脂」「甘味」です。これらは無条件に(本能として)美味しさを感じる味わいです。身近なものでコクを感じるものを説明すると卵などは油のエネルギー、ミネラルやビタミン、タンパク質。まさに完全栄養食品。卵にはコクを感じます。まさしくこれは本能からくるコクの欲求です。例えば牛丼は「うま味」を調整したダシに「油脂」である牛肉、そこに完全栄養食品の卵を落とせば「やみつき」になるのは実に当たり前の現象ともいえます。砂糖とうま味の組み合わせのバリエーションとしてすき焼きなども同じですね。卵をくぐらせなくては美味しさも半減です。
つまりは「複雑な美味しさの味わい」=「コク」というわけです。しかしそれだけではありません。実際の所、「コク」にはつかみきれない部分が沢山あります。それは食感や香り、風味、そしてその食品に関して学習したことや連想。これらが脳内でもっと広がり、抽象的なことがらや精神性などにも結びついていきます。これらを統合したものが「コク」の正体です。だから人にもあてはまりますし、味覚では全く異なる食品にも共通してコクを感じさせるのです。
随分と前置きが長くなりましたが、では「珈琲のコク」とは何でしょうか。私はコクのある珈琲を説明するときモカ種に「コク」を当てはめます。特にイエメンモカには他の珈琲産地にはない複雑な味わいを感じさせてくれます。一本調子ではなく飽きのこない味わいに奥行きを感じます。「ボディー」との違いは飲んだときに舌の上に感じる重みが「ボディー」であって、飲み終わった後に感じるものではないので区別しています。一本調子ではない、そういった意味ではコクを感じやすく飽きずに飲み続けられるのはブレンドかもしれません。しかし珈琲には前回説明した三大栄養素など含まれておらず、カロリーもブラックでは1〜2kカロリーとエネルギーとしては貧弱です。
しかも人は苦みに敏感です。苦みの受容体は30種類ほどあり、うま味、甘味に比べると異常とも言える厳重な備えです。何故か。それは味覚として苦みと酸味は毒物かもしれないからです。ここに冒頭で説明した精神性が重要な位置を占めていきます。もちろん味覚や香りが入ってきてから後の話となりますが・・精神性の面からは例えば同じ珈琲を使っていたとして方や産地に何度も足を運びカウンター業30年以上のベテランのお店と始めたばかりの一年生だったらどちらが美味しく感じると思いますか?抽出技術は同じと仮定します。同じ珈琲を使用していると知らなかったらならおそらくベテランの店で「コク」のある珈琲を飲むことを選ぶでしょう。そうです「コク」の一部にはこのような情報も含まれるのです。
視覚から来る味わいは後で説明します。
これまで説明したことは科学的視点がほとんどでした。珈琲の味はある程度、理詰めで説明できます。しかし人の手が加わる所ではなんとも・・アナログな飲み物です。世界中の人々がこの不可思議な琥珀色の液体に魅了され生産されています。ではここで珈琲の抽出についてお話します。これまでの説明分野はパッケージングされる前までの話であって、買って帰って考える必要はありません。お店に任せておけば良いのです。「じゃあ家では何が出来るの?」抽出で珈琲の味はある程度調整できます。
1)抽出前に豆を挽く……珈琲豆は香りのカプセルです。香り、風味は挽き立てにあります。
2)粉の大きさ……細かければ足の遅い苦み成分が抽出されやすく苦みが増します。大きければ足の速い酸味成分が先に抽出されます。そこでバランスのあった砕度を見つける必要があります。
3)湯温……湯温が高いと珈琲のすべての成分は早く出ようとします。湯温が低いと成分は出にくいので抽出時間を長くすれば味に変化が付きます。
大まかに注意すべき点はこの三点です。後は粉の量と抽出量さえ整えばおいしい珈琲がご家庭でも楽しめます。抽出へのいろいろな工夫は発見の喜びと楽しみがあります。ぜひ見つけてみてください。それでも美味しく感じられない場合、お店を変えた方が近道です。珈琲は嗜好的な飲み物です。根本的な愛称は存在します。つまり珈琲に「絶対」は無いのです。「この店の珈琲は日本一の味だ……」それはその方の人生経験と知識と嗜好が判断することなので(これはなにも珈琲ばかりには限りませんが)自分に合わなかったら合わないで良いと思います。「おすすめって聞いてきたけど私には合わなかった」これも正解です。これにこそ喫茶、珈琲文化があります。
「A店のマンデリンは旨いね〜、コロンビアはB店の方が好きだな〜。」「あの店はネルドリップで美味しく点ててくれるんだよ。」「あの店のケーキはブラジルと相性抜群。」これも珈琲の楽しみ方、味わい方。舌のみで味わえば実に自分自身に公平かつ正直なジャッジを下すことが出来るでしょう。
しかし、人は「目で食べ、耳で飲む」生き物だと思います。これは実に文化的行動だとも思います。例えばブランドという情報は心を魅了します。「フランスの名門料理店で修行したシェフ」たとえそこで3ヶ月間だけ皿洗いしていてもなんだか美味しそうです。「最高級製造機で作る○×」たとえそうでも正確には人が作ります。道具は手助け。でも食べてみたいですね。
と、このように口に入る前に私たちは情報から脳を準備しています。身近な例だとアメリカの大手コーヒーチェーン「緑の珈琲牛乳」はちょっと高めのこだわり珈琲をその場所で注文しているのが知的行為という差別化に成功しました。いままでメニューではマイナーだった(カフェラテ)をここまで身近な飲み物にしてしまった。そして珈琲ブームを作ったのは業界にとって功績と思っています。しかしラテを作る為の原材料たるエスプレッソに関してはミルクと合わせて丁度よく仕上げてあるせいか苦みだけが突出した抽出物に調整されています。味も強烈なためエスプレッソ単体で注文する人の数は私がこの店での注文状況を聞く限り多くないと思います。
つまりカフェラテを主力とした商品作りに成功していると言えるでしょう。
話は逸れましたが現代人はおいしさと言うものを判断するのに外部情報に頼る傾向があるのは確かです。暑い夏の日、喉がカラカラになったときに飲む水。これは生理的に美味しいと感じます。長期海外出張から帰ってきて家庭で食べるご飯。「やっぱりこの味っ!」食文化の美味しさです。本能から来る油脂、甘味、アミノ酸などのうま味に快感を強く生じた食品。やみつきを誘発する美味しさです。
そして安全、価格、産地などの情報が味覚の処理に強い影響を及ぼす現象。情報から来る美味しさです。そして情報の美味しさは習う美味しさとも言い換えられます。その筋の権威が「これぞ本物」といえば食べたことがないものでも(たとえ苦手なものでも)食べてみたいと脳が判断します。好きな俳優や歌手が「おいしい」と言ったものは「おいしい」に決まってます。たとえ口に合わなかったとしても否定的なことはあまり言わないと思います。
昔では考えられなかった事ですが最近「○□農園のコーヒーありますか?」という質問がありました。メニューを見ながら「この中でティピカ種はどれですか?」と言う質問もありました。非常に興味深い現象です。正直私は(よほどの有名農園でない限り)農園で飲み分けることは難しいと思います。たとえ珈琲生豆が同じで焙煎機が同じであったとしても作り手が違えばアプローチが変わります。
つまり、お店(焙煎人)によっての珈琲への解釈(好み)が変わる=味が変化するからです。(実はココがお店選びの面白いところなのですが)どんな本(雑誌?)を見たか判りませんが正しく情報から来る味への期待感と判断です。私は「情報源から取り寄せて飲めばいいのに」と思ってしまいます。質問者は期待通りの味に満足することでしょう。
当店のメニューでブレンドは番号で名付けています。なぜならば「モカブレンド」と書いたとするとその文字情報は脳から過去の味を検索、比較し、飲んでもいないのに味覚を判断されてしまう。お互いに非常に残念だからです。私は名の通った店で修行したわけでもなく、誰かを師事したわけでもなく、焙煎も独学で行いましたので、無名である私の「情報から来る味への期待感」そのものに期待していません。最低限の情報公開だけで後は飲んでくださる方に判断してもらうように努めています。結局の所、私が美味しいと判断したものしか提供していませんので味の押し売りであることは事実です。
ほとんどのお店が結局の所そうだと思いますが中にはユニークなお店もあって自身の味覚を丸投げした「これは師匠の所から取り寄せた云々」といったお店が存在します。私は「自分の味を提供したいから独立したんじゃないの?」と思ってしまいますが、このように提供する側の味覚すらも情報は支配しています。でも好きな食べ物ならあまり惑わされないかもしれませんね。私はトマトが好物ですが、見た目が美味しそうでトレサビリティー(産地、生産者が明記されている)のハッキリしている商品を購入し、食べてみたところ「おいおい、写真で顔まで出しちゃってるけど大丈夫か?」と生産者の今後を心配してしまう商品に当たるときがあります。(私の好みに合わなかっただけですが)今後その顔写真の商品は手に取ることはありません。間違えて買うことがなくなったという利点はありますが。情報で安心させることは商品を販売する上での戦略とも言えそうです。
珈琲では「有機栽培」「スペシャルティーコーヒー」「フェアトレード」等、肩書きが多くありますが、私の選択基準は飲んでみて美味しいか? ウチの商品として有意義か? で判断しています。例として消費国では「有機栽培」と聞くと体に優しい、健康に良い、などのイメージが先行しますが生産国では「あいつの農園、農薬も買えないんだってよ」と言う見方もあります。又、自生している珈琲を有機といって販売する輸入業者もあります。ちなみにその有機栽培は「ほったらかし農法」とも言い変えることが出来ますが。農薬の話が出てきましたので補足します。実際、農薬の判断基準は日本の場合とても厳しく、検体(税関で生豆を検査する作業)基準は焙煎加工前の珈琲生豆抽出液から判断します。
ちなみにヨーロッパやアメリカは焙煎後抽出液に含まれる(我々が飲む状態の珈琲)農薬残有量で判断します。たいていの農薬は熱処理(焙煎)の段階で気化するのでほとんど検出されることはありません。近年、世間を騒がせたエチオピアコーヒーの残留農薬問題に関しても日本での判断基準を上回ってはいましたが(ちなみにDDTが基準値の8倍でしたが基準値は0.0001ppmです。中国でのDDT基準値は0.1ppmだそうです。)実はこの数値、一日にコーヒーを2kg飲み続けて初めて体に影響が出てくる数値だそうです。
これまで珈琲の美味しさを探ってきましたが、はたして、珈琲は健康に良いのでしょうか?「珈琲は刺激が強いから・・」「珈琲飲むと眠れなくなる・・」「お医者さんから止められた」いろいろな否定的意見を聞いたことがあると思います。それらに根拠はあるのでしょうか?
医食同源・・医療も食事も健康保持に重要で、その源は同じであるということ。珈琲は世界の日常的飲み物として私たちのすぐ側にあります。常習性のあるこの飲み物はしばし議論の対象になります。「はたしてこの飲み物は体に良いのか悪いのか?」古くは14世紀からこの論争は続いています。実は近年の疫学調査の質と量を見ると珈琲ほどきちんと調査された食品は他にありません。厚労省が「特定保険用食品」通称「トクホ」を定めています。定義によるとトクホを販売するには有効性、安全性について科学的根拠を示し、国の審査及び許可を受けなければいけません。
トクホの特徴ですが、普通の食品からは摂ることが難しい成分でもトクホを使えば簡単に摂れるということです。しかしトクホの有効成分は必須栄養素ではないので摂らなくても欠乏症にはなりません。つまり病気を予防するという確かな証拠は不十分というわけです。(独自に調査、検証している場合もあります。)何故か?安全第一と言うのが基準となるためです。私たちがよく目にするトクホを基準に珈琲を懸賞してみようと思います。実は珈琲には病気予防効果があり、メタ解析(すべてのデータをまとめて再評価した論文)で検証されている有力な予防効果として
1:2型糖尿病
2:肝臓ガン
3:アルコール性肝炎
4:パーキンソン病
があり、メタ解析はないが大いに期待できるものとして
5:肥満・メタボリックシンドローム
6:アルツハイマー病
7:大腸ガン(女性)
8:通風
これらが上げられます。これらはすべてトクホよりも信頼性の高いデータが元になっています。珈琲成分の何がこれらの病気予防になるのか?それは今まで説明してきた成分・・カフェイン、クロロゲン酸、メイラード化合物などが関与するのです。気をつけていただきたいのは珈琲を飲めばこれらの病気が治るのではなく、予防に大いに役立つことができる。と言うことです。では説明していきましょう。まずは体にとってしばし悪役扱いのカフェインですが、カフェインは体にとって有効成分であることが判明してきています。もともとコーヒーノキは、薬用植物として明治19年から昭和26年まで日本薬局方に登録されていました。
なぜ無くなったか?珈琲の有効成分はカフェインで日本薬局方にカフェインが収載されたから必要ないとの理由からでした。カフェインがもたらす薬効として有名なのは覚醒作用、その他に喘息、パーキンソン病があります。1950年頃まで喘息の薬と言えばカフェインだったそうです。しかし、今ではカフェインよりも効き目の強いテオフェリンが現れました。カフェインとテオフェリンの化学構造はそっくりですがテオフェリンの方がカフェインよりも効き目が強いのです。
しかし最近になって理由はよくわからないのですが小児喘息の患者が増え、テオフェリンの副作用(呼吸不全、チアノーゼが見られるほどの重い発作。注:必ず起こるわけではない)が問題になっています。ここで通常、吸入ステロイド薬が使われるわけですが、昔、喘息の発作の場合夕方に起こりやすいので午後3時から4時頃に珈琲を飲むと良いとされていた時期がありました。珈琲からの副作用はこれまで聞いたことがありません。
また、珈琲とがんの関係を国立がんセンターが大規模調査を行いました。「珈琲には肝がんを半減させる効果がある」という報道が2005年にありましたが、これは珈琲を一日に摂取する杯数から発症率を調べる方法で1990年から約10年に渡り40歳から69歳の男女約9万人を追跡調査を行った結果、「珈琲を毎日ほとんど飲まない人の肝細胞がん発生率」を1.0とした場合、「珈琲を毎日1〜2杯飲む人の発症率」は0.52、「毎日3〜4杯飲む人」は0.48と発症率が半減。「毎日5杯以上飲む」と答えた人の発症率は0.24と四分の一以下という結果でした。
しかし珈琲が肝炎ウイルスに利いているのか、肝炎ウイルスが肝がんを発生するのを珈琲が防いでいるのかは謎でした。そこでC型肝炎ウイルス検査で陽性だった人をフォローしたところ、珈琲を飲む人と飲まない人で肝がん発生率に大きな差がありました。なんと珈琲には抗C型肝炎ウイルス作用があり、C型肝炎が肝がんに進展する発症率を大幅に押さえる作用が確認されています。珈琲が肝臓病の特効薬かもしれないという可能性が見えてきています。
そして主要成分の一つ、クロロゲン酸には糖尿病予防効果があり、毎日6杯以上飲むと発症率が男性で半減、女性で30%減少するというデータが出ています。糖尿病やメタボリックシンドロームは現代の悩める病気ともいえます。そして深刻なのは糖尿病が引き起こす合併症にあります。心臓病や肝臓病、網膜症など。肝臓病が進行すると人工透析を受けるようになってしまいます。もし、珈琲を飲む習慣があれば未然に予防する効果が期待できるのです。もちろん個人差はあります。統計的な目安として珈琲は糖尿病を予防、糖尿病が心血管病を進むことを防いでいます。が、珈琲と心血管病との関係は一日5杯以上摂取すると心血管病のリスクが上がります。あくまで統計的な目安で個人差があるので、それぞれの無理のない範囲で飲めばよいと思います。
もう一つ、リスクといえば妊娠期間中の珈琲摂取についてですが。普段、珈琲をよく飲む女性の方でも妊娠を境目に珈琲が飲めなくなるということをよく聞きます。これは妊婦2人に一人の割合で珈琲を飲みたくなくなるという統計が出ています。ここで問題なのは「つわり」があるか無いかで飲みたいか飲みたくないかが決まるようです。お医者さんからは「珈琲を控えるように・・」と言われますが、「お茶や紅茶を控えるように・・」とは滅多に言われません。カフェイン含有量で言えば確かに珈琲にはカフェインが多く含まれていますがお茶、紅茶も例外ではありません。通ずる可能性から考えれば注意が必要です。「つわり」にはお腹の子に良くない食べ物を嫌うという性質を持ち合わせています。ですから「つわり」を感じない母親は胎児に良くないものを食べてしまうことがあるので流産リスクが高くなると考えられています。珈琲と流産・死産相対危険度は一日一杯(カフェイン100mg相当)は許容範囲です。妊娠直前のカフェインが300mg(珈琲約3杯)を越えると流産・死産のリスクが上がるようです。妊娠後半に至ってはなるべく珈琲を控えた方が無難のようです。
ちょっと珈琲の美味しさからは外れて、薬理学的視点から珈琲を飲むことのリスクも書きましたが、珈琲にはリスクよりもクスリとしての利点の方が多く感じられます。何事も過剰摂取は体に良くありません。生活習慣病は生活習慣を改めることで予防出来ます。悪くなってから気をつけても遅いのです。「テレビのあの有名人がビタミンが必要って言ってたから」といってサプリメントのビタミンを摂取し始めるより、普段から気を配れば気にしなくて済むことです。そんな日常の中に珈琲を取り入れることでこれまで説明した病気の予防が期待できるなら自分に合った珈琲を見つけて一日の楽しみの一つに加えてみてはいかがでしょうか?
美味しくて、リラックスできて、病気が防げるなら理想的な飲み物だと思いませんか?ちなみにいつも思うのですが、珈琲関係者にはどういった訳か太った人は非常に少ないです。
さて、珈琲の美味しさをいろいろな角度から検証してまいりました。これまでの説明でどのように感じられたでしょうか?珈琲のイメージが変わりましたでしょうか?
これまで書いてきたことは最新のデータから調べたことがほとんどですが、新しい発見やこれまで正しいとされていたことが明日には訂正されていた・・ということはよくあることです。訂正事項が見つかった場合、また今回のような形でお知らせいたします。
最後に、「美味しさ」とは貴方自身が決めることです。雰囲気は美味しさの調味料であって実際の所、味そのものは変化しません。どんな美食家が「これは旨い」と言ってもその人が美味しいのであって(目安にはなりますが)貴方と同じであるはずがありません。自身の味覚が感動するものと出会えることが喜びではないでしょうか?美味しさを感じ、共感し共有すると人との繋がりは楽しくなりますが、強要は美味しさに繋がりません。
そして私の考える珈琲のポジションですが、「珈琲は日常に無くてもよいものかもしれません。しかし、あればより好い飲み物」です。あなたにとって美味しい珈琲が見つかり、ホッと一息つける至福の時間が珈琲によって作られるなれば珈琲を提供する側としてこれほど嬉しいことはありません。